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悲しみや苦しみが襲ってきたとき、幸せ体質的対処するコツ Part 3

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悲しみや苦しみが襲ってきたとき、幸せ体質的対処するコツ Part 3

皆さん こんにちは

自分らしい幸せを欲しいアラフィフが
自分の強みを見つけられる

手相と四柱推命の鑑定師、西端です。




今回も、お読みいただき
ありがとうございます。




今回も、
悲しみや苦しみが
襲ってきたときの対処法を
考えます。

あきらめる の語源は、諦観

あきらめる、

といえば、


願いや目標達成を
途中でやめる、
仕方なく断念する

という意味で、
現在では使われますが、


あきらめる、は
仏教の言葉の、

諦観 たいかん

が由来です。




諦観は、
あきらかにみる と読め、

あきらかにみる が
あきらめる に変化しました。

諦観 というと...

諦観 というと、

現在では、
ていかん と
読むことも多く、


人生、自分の思い通りには
ならないよ、なんて、

悟ったような、
あきらめたような気持で
世の中をニヒルに見ている
イメージですが、


もともとは違います。

諦観 のもともとの意味

諦は、真理とか正しく、
という意味で、

観 は見るですから、

諦観 で、
真理を見る
正しく見る
と、なります。




何か起こった問題を
正しく見て、
あきらかに見て、

自分でできることなら、
やっぱりやる、

自分でできないことなら
途中でやめる、

ことの判断をつけるのが
諦観です。




また、問題を正しく見て、

なぜその問題が起きたのか、
一体何が原因だったのか、

あきらかに見ることが
求められます。

苦諦

人生は苦しい
という真理を表した

苦諦 くたい 

という言葉を、
前回ご紹介しました。


上に記した
諦めるの意味を応用すると、


苦諦 とは、


苦しみ、悲しみが
襲ってきても、
目を背けるのではなく、


苦を正しく見る、
苦をあきらかに見る、

ということになります。




次回は、
苦を正しく見る、
苦をあきらかに見る、
について、
さらに考えます。




最後までお読みくださり
ありがとうございました。

また次回、
このブログで
お会いしましょう。

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